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震災から1ヶ月に寄せて [3.11 earth quake]

信じられない。今も現実感がなさすぎる未曾有の大災害。
震災直後はよく泣きました。復興の二文字はまだ無く、絶望感しかなかった。
しかし1ヶ月が経ち、強く生きていかなければならないと気持ちを新たにした。
九州に住む後輩からは「新潟は大丈夫すか?」なんて聞かれたりして、
東西の温度差はやっぱり全然違うんだな、と実感している。
新潟は山を挟んで隣県ですが、被災は皆無。全然普通すぎて申し訳ないほど。
逆に過去の阪神淡路大震災で自分が何ができたかを考えてみると、いまほどインターネットも無く、
入ってくる情報はテレビのみでやはり「画面の中で起きていること」であった。
就職してあちこち遊び歩くようになったら、気がつけばほとんどの場所がふるさとになっていて
もうどこで何が起きようともyurnet的には日本はひとつの「エリア」になっている。

東北の人々の小さな目の前のことに感謝して生きている姿は自分の中の日本人、
そしてそれはふるさとそのものの姿だったかもしれない。
おにぎりや豚汁に涙を流す人々を見て、東北の人間だったことに誇りを持った。
どこだったか液状化して家のローンが云々といって何かに文句ばかり言っている人を見ると、
屋根があるだけ、水が出るだけマシじゃないのかと。家はおろか土地も、命すら無くした人もいる。

逆に今は関係無い、経済活動優先!って言ってる人たちが被災したときに
疎開拒否!ってならないような生き方をしていかなければならないと感じています。

これだけ広い範囲が被災していても、被災状況が伝わるのは津波がひどかった石巻や気仙沼、
陸前高田や釜石が中心になっている。中でも一番ひどい状況なのは福島じゃないかと思う。
二次災害として原発の問題があって、三次災害として風評被害。

福島に住んでいる人がいて、これからも住みたいと思うふるさとが大変な状況なのに、
つい先日まで電気をジャブジャブ使ってきた地域の人間に限って
放射能が怖い!福島県産は食べられない!などと声高に叫んでいるような気がする。
自分の身が心配な連中が水だの何だのと買い占めたり我先に行動しているのも、
ほとんどが東京で起きていることが地方に波及しているだけなんじゃないかと思う。
まぁそもそも水なんて買いませんけどね、被災地でもないんだし水道から水が出るし。

ママ友から聞いて心配になって~ついつい買っておこうと思って~
品物が少なくなると不安になってついつい買っちゃって~」とかテレビで見てると、
この国のこういう面を負に引っ張っていってる層がはっきり見えてくる。
千葉のコンビナートが爆発して放射能が漏れてるので外出は云々」ってメールは
どさくさに紛れてどこかから届きました。長いメールでしたが、常識的に考えて2行見て破棄
転送してくれた気持ちはありがたいが、あの状況で冷静でいられなかったってのも理解はできる。

カイワレだのイチゴだの食ってる脳内お花畑の連中は相変わらずだな~と思いつつも
彼らも徐々に首が締まってきたのでそう早くないうちにその姿を見なくて済むようになるでしょう。
一昨年くらいに日本が変わる!これが民意だ!なんて言ってた人(周囲には一人でしたがw)は
こんな方向に日本を変えてくれるとは本当に素晴らしいお花畑の人たちだな~と思います。
現役信者もいるとおもいますので、まぁこういう話はキャンプの夜会にて・・・w

足が悪いのに震度7の中で納屋が倒壊していく中、
杖をついて逃げ出したばあちゃんの姿を想像すると本当にいたたまれない気持ちになる。
そして翌日に見た見慣れた納屋はもろくも崩壊、跡形もなく崩れ去った思い出の納屋。
もう住むことはできなくなったばあちゃんの家。愛すべき田尻のばあちゃんの家。
近々片付けに行かないといけないな~。

それと3年過ごした思い出の地、岩沼も昔お世話になった地域は完全に津波に飲まれた。
そんな極限状態を目の当たりにして新潟に帰ってきた自分に何ができたか。
結果、たぶん何にもできなかった。のかもしれない。行けた(行った)だけでもよしとしよう。

こんなとんでもない災害があっても経済活動は重要だと言うことは理解した(つもり)。
しかし自分の地元があんな状況になっても「経済活動が優先」などと
津波の水が引かないうちから口に出して、ましてや人に諭そうなんて失礼極まりない。

というか、経済活動を優先しようにも心がついていかない。悪いが遊びに出る気分にもなれない。
そんな心理と経済的な観点との葛藤の中で、普段よりお金を使うように心がけて過ごしてきた。

ふるさとが大変なときにふるさとを気にかけて心配になっちゃダメでしょうか。
日本人はこういう時も震災直後から経済活動維持!なんて言う民族だったでしょうか。

こんな時こそ日本人は逆転してきたんじゃないかな~。ものづくりにしても復興していくことにも。
日本人の力を信じたい。エアコンがなくても夏は乗りきれる!(たぶんw
おっとイカンイカン。変な国粋主義がいきすぎる感じもよろしくない・・・。

そんな静かに黙祷を捧げた今日4月11日、
ポストに検針票が入っていたので、1ヶ月の節電生活がどうなったのか判断してみることに。

2/5~3/7の電気料は134kWhで3,142円でしたが、3/8~4/6は89kWhで2,363円でした。
お金は使って電気は使わず!
言うのは簡単ですが、実践してみるのは大変。震災後は35%の節電に成功
部屋の蛍光灯も半分に減らして、待機電源は冷蔵庫以外オールカット。
トイレも大以外は流さないようにして(関係ない?w)、朝シャン(死語)は電気をつけず。
しかしこれを継続していかなればなりません。
東北電力も夏の計画停電は不可避とのこと。被災地の復興のために、東北のために。

柏崎刈羽の停止している2~4号機は東北に供給する電力じゃないなら動かしてほしくない。
あんな人間すら近づけなくなる得体の知れないシロモノをこんな状況で運転再開するなんて
まぁ普通に考えてダメだと思いますけどね。できれば2~4号機以外も早く止めて欲しい。
柏崎刈羽原子力発電所は864万kWhを発生する世界最大のプラントです!なんて言われても
災害が発生したら最も最悪のプラントです!って言ってるみたいに聞こえちゃう不思議。

yurnet的には照明が落ちて暗い街並みが実は好きです。あの店開いてるかな~?的なw
夜に入ったコンビニで目がくらんで眩しいとか、いま考えてみると馬鹿馬鹿しい話。
煌々と使われていた電気がこんな土台の上にあったとは。
これもまた受益者負担だの地域振興だのいろんな観点はあろうかと思いますし、
原発が立地している地域の雇用の原発依存率を考えると簡単な話ではないのは分かっている。
しかし福島が受けた被害を考えると新潟の柏崎刈羽も先は長くないと思いたい。
何かドラスティックな技術革新、もしくは(現政権には期待しないが)政策転換、
簡単に出てくるわけはないでしょうが、危機的状況を回避できる何かがないかな~と思う日々。

故郷を想い続ける意思、微力でも実現する行動力、協力しあうつながり。
それを忘れないで生きていかなければならない。

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コメント 2

SAY

ここで初めて歌聞いたけどなんか恥ずかしくなるねー(笑)
でも全国でこれだけの人達が応援してくれてるのかと思うと
胸が熱くなるねー。
最後のしめはやっぱりあの人でしたか♪

しかし、私もついつい地元優先で原発の被害がある福島が
先の見通したてられなくて一番ひどいと思っちゃうけど
やっぱ津波の被害を直接受けた地域の人は
目の前で大事な人や家族を失ったり
まさに瓦礫の街にいて何から手をつけていいのかわからず
心の傷はものすごく深いのではないかと思った。
千葉や茨城だって被害が大きいのに報道されず
行政やボランティアのサポートが入らない地域もあるから
今回は被害の大小や内容関係なしに多くの人が傷ついた災害だなと改めて感じたのでした。
by SAY (2011-04-13 23:00) 

yurnet3

>SAYさん
本当に胸が熱くなりますね、宮城県民としても。
修学旅行で会津で木刀買った若者は少なくともこの歌にズキュンです!

被害の大小は関係ないんですね、
でもただそのアピールには差がありすぎるような・・

レベル7でも我らが福島はチェルノブイリではなく福島であり続けます。
yurnetは福島がどうなったとしても福島を応援し続けます。
隣県を愛せない人間が東北を語ることはできませんもの。。。
これほどまでに東北六県が一致団結することは将来無いでしょう。
今団結できないのであれば未来永劫団結できないでしょう。
都会と違って地域レベルでも助け合えるこの田舎の良さを
後世につたえていきましょう!
by yurnet3 (2011-04-13 23:57) 

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