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震災から半年によせて [3.11 earth quake]

悪夢のような3.11から半年、人々の心はどう変わったんだろうか。



電気が復旧しないのでいつまで待っても無駄なのにガソリンスタンドに群がる人々
そしてガソリンが手に入らなくなるのが明確なのにアクセル全開で追越車線を行く高級セダン
挙げ句の果てにはエンジンかけたまま何百台もスタンドに並ぶ数手先が読めない人々
結果的に電話回線がますます通じにくくなるのに、家族に電話を何度も何度も試みる人
何か買える(もらえる)と思ってコンビニに並ぶ普段から何も準備していないであろう人々

そんな反面、

避難所で慎ましく食べ物を分けあい、隣にいる人に声をかけて元気づける人々
自宅のストックを近くに住むご近所一同でシェアして助けあう人々
物資が不足することをすぐに察知して燃料・食事を抑える工夫にとりかかった人
普段から仲良くさせてもらっていた店からたばこを買えたし、食料も手に入れられた。

「備えあれば憂いなし」で、ある程度準備していてもまったく足りなかった3.11

現地にいなければ分からない話だが、3.11~3.12にかけては余震がすごかった。
4~5分おきに震度3~5が休みなく襲ってくる状況、日本が沈没すると錯覚した。
まったく眠れなかった3.12の朝に見た朝焼けは日本の終わりすら予感させたほど赤かった。
半年が経った今でも日本各地を襲う余震、人々の震災の恐怖は消えてない。

電気、水道、ガスが使えなかった数週間、物資は届かず燃料もない氷点下の日々。
東北の人間はよくあの過酷な環境を耐えぬいたと思う。自分が東北人であることを誇りに思う。

時間が経って放射能の影響は各地に残っている。これは何十年も続く話なんだろう。
関西以西で聞かれる被災地を逆なでするような行動や発言は、いつか自分に跳ね返るだろう。
でもそんなことを言われたとしても、朴訥な東北人はきっとそんな人達も助けると思うけど。

健全な成年男子であれば種は数日で入れ替わるらしいので、被曝はあまり関係ないそうだ。
福島の農産物や産業、希望を切り捨ててまで80歳まで生き延びたいとも思わない。
隣県新潟に住んでいるからだろうか、福島を助けなければならないという感情も強い。
もちろん宮城から見ても隣県なわけだけれども。新潟に来たのはいろんな意味で考えることが多い。

震災翌日は近所で声を掛け合い、自治会の役員さん達が各戸に声を掛けて回っていた。
普段から自分が住む地域の人々と交流しておく必要があるんだと強く感じた。
週末はいつも遊んで歩いてばかりで、地域と交流もせず、地元の青年部等にも所属もせず、
よく考えたら「別にそこに住んでても住んでなくても一緒じゃね?」って状態。
東京にいる時はまさにこれを地で行ってたような気がする。今は違うけどね。

いつか再び災害に襲われたときに近所の避難所で普段から交流している同年代の人々が
声を掛けあって何かしている時に、誰も知らずただ消費するだけの避難者にはなりたくないね。
今はちゃんと回覧板も読んでるし、ゴミステーションの清掃にもちゃんと早起きして出てる。
すると、結構歳が近い人って住んでることを知る。顔をあわせるだけでもだいぶ違うでしょう。
震災をきっかけにでもいいので、自分が住む地域に最後は助けられることを認識しておきたい。

半年も経てば震災復興の道筋も少しずつ見え始める。それと同時にその復興利権に群がる面々。
日本人の慎ましさはそういった復興に携わる場合、関係者であればあるほど寡黙になるべき。
堂々と復興に関する仕事で儲けがあるだのないだの語るのはちょっと見識を疑う。
なんかこういうところに美徳というか、日本人らしさを感じる私は昭和な人間なんでしょうかね。

それと放送されない現地の事実として、窃盗がある。
津波で流されてあちこちにひっくりがえったクルマの窓はほとんどどこか1ヶ所だけ割れていた。
当然ナビと燃料を窃盗したんだろうけどね。燃料はちょっと同情の余地はあるとしても・・・・

人がいない深夜のコンビニもいくつも襲われた。非常時でも物資ではなくて金を盗むらしい。
どれだけの被害届が出されたのかは分からないが、実際に聞いた話ではほぼ強盗状態で、
店主も店を明け渡すのが最善策と判断した店もあったらしい。これは実に悲しい話。
人がいなくなった街に全国から警察が送り込まれたのはこれまた悲しい話でもある。

一人からしか聞いてないが、日本語じゃない言語の早口でうるさい言語圏の所業らしい。
震災だけでなく、非常時にはこういった犯罪が蔓延することが予想されるということは、
都会ではどういった結果が導かれるかは・・・想像に容易ですな。気をつけよう・・がないか。

このまま年末を迎えることが怖くもある。いつも襲われる年末年始の焦燥感に加え、
この震災で起きた様々なこと、旧知の知人と泣きながら無事を喜んだあの日、
いろいろこの半年の間にありすぎて、精神的になかなか辛い年末を迎えると思う。

実家でゆっくり静かに過ごすのも悪くないかな。先日某実名制SNSで再会した同級生、
彼が主催している禅に参加して、今一度自分の内面を見つめ直すのもいいのかもしれない。
ソロキャンプもそうだけど、一人で考え事をする時間は増えたね、最近。公私ともにね。

半年経って人々は希望を持った。それは絶望を知ったからだと思う。
苦難は乗り越えられる人の元にしか降りかからない(これホントかぁ~?って気もするけど)

ま、凹んでばかりもいられないし、前を向いて進んでいくことが供養であり復興なんだろうね。
離れていてもできることはある。心ない風評を絶ち切って東北人は前を向いていくんだぜ!
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コメント 4

ヨシ

上手く言葉では言えないけど同じ気持ちです。
by ヨシ (2011-09-12 04:21) 

yurnet3

>ヨシさん
なんていうか、言いたいこと、書きたいことはたくさんあるんですけど、
うまく言葉にして表現できない感情がありますね。。。
もう半年ですが、まだ半年です、自分のできることをやるしかない!
by yurnet3 (2011-09-12 22:44) 

SAY

まぁ私もいろいろ書きたいことはあるけど
書き始めると変に長くなったりして
途中削除しながらも振り返って
やっと今日日記書いてみたりしたよ。
思う事を何かに記しておかないと
その思いは時の流れで自然と流れていってしまうからね。

自分にできることはなにかと考えると
実際には身近な人に何か送るとかしかできないけど
今日は山梨に避難してきた浪江町出身の妊婦さんに
県が借り上げを始めた賃貸住宅への申し込み方法や
条件に該当する為の材料揃えのこつやらを
いろいろ教えてきたわ。
得た情報は必要な人に生かせてあげたいし
不動産屋努めの経験で協力できるところもあるし・・・
と、私もできることをやっていきまーす。
1人助けることで、その家族全員が助かるもんね~。
by SAY (2011-09-13 17:52) 

yurnet3

>SAYさん
なんか泣けてきますね。
自分も書いたり消したりで、ほんとはもっともっと長かったんですけど、
最終的には削除してこの形になりました・・・
書きたいことと伝えたいことが表現できないもどかしさがあります。
風化させずに関東の人達にも継続して支援してもらえるように、
日記は定期的に上げていきたいですね。
by yurnet3 (2011-09-13 18:23) 

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